ブックタイトルvol.150

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概要

vol.150

仕事道具も私と一緒に歩んできましたが、特別な名器ではないんです。ただ、料理人なら洋食、和食を問わず、包丁などの調理道具は、食材を切るときの引き方、力の入れ方で、刃や柄がほかの誰とも違う形になっていきます。使い方のクセがつくんです。そうなると、道具というより、料理人の相棒のようなものですから、手放せません。ちなみに、人生の相棒である妻とは有馬時代に職場で知り合いました。私が鎌倉に異動した後も付き合いは続き、異動して1年経った頃に結婚しました。私は今、寮から通っていますが、妻は子どもたちと今も鎌倉に住んでいて、転勤の多い私に代わり、子どもたちを育て、家を守ってくれています。正直に言えば、長く働く間に他の仕事に目移りしたこともあります。でも妻や家族、何より、私の料理を楽しみにしてくれているお客様を思うと、この仕事から離れることはできませんでした。ずっとこの仕事を続けられた理由は、いろ特別な名器より〝手に馴染むもの?をいろあります。ただひとつ大切にしているのは、新人時代に先輩方に言われた、「頑張っていたら、誰かが必ず見ていてくれる。いい仕事をしプライベートでは人気グルメ店探訪がライフワーク※という林料理長。仕事で見せるクールな一面の裏には、グルメへの飽くなき探求心が隠されている?!長年使い続けた包丁は、料理人の相棒ていたら、自然と人が集まってくる」という言葉。自分なりにその言葉を実践し、成果ダイヤモンド八ケ岳美術館ソサエティリンゴドレッシング林料理長が考案したリンゴドレッシングは、お土産の中でも人気No.1。程よい酸味とリンゴの甘味が食欲を刺激し、コクのある濃厚な味わいが口の中に広がる。どんな野菜にも合う逸品です。Recommend林料理長の履歴書高校卒業後、調理師の専門学校に入学。同じ年にオープンした「ダイヤモンド鎌倉別邸ソサエティ」にアルバイトとして勤務。後に師匠となる豊田清氏、当時の総料理長だった伊藤軍治氏と出会う。1984年調理師学校を卒業後、伊藤氏に誘われダイヤモンドソサエティに入社。「ダイヤモンド有馬温泉ソサエティ」に勤務。後にソサエティの人気商品となる、リンゴドレッシングのベースとなるドレッシングと出会う。1986年「ダイヤモンド有馬温泉ソサエティ」で後に妻となる同僚との出会い。1987年1991年「ダイヤモンド鎌倉別邸ソサエティ」に異動。「ダイヤモンド有馬温泉ソサエティ」で出会った同僚と結婚。1992年1996年「ダイヤモンド八ケ岳美術館ソサエティ」に異動。2001年「ダイヤモンド滋賀ホテル」に異動。2006年「ダイヤモンド八ケ岳美術館ソサエティ」に異動。有馬時代に出会い、異動先で研究、開発を重ねたオリジナルのリンゴドレッシングが完成。人気商品となる。現在※ゆとり旅日和vol.143 p.2「スタッフの一芸一座」よりを感じているから、こうして続けられているのかもしれませんね。9